叔父から、ばあさんの誕生祝いをやるから集まってくれとのこと。

今度からその婆さんの希望で、正月の集まりをなくすということでのことだった。

95歳。

まあ、元気です。

もう、楽になりたいとか言ってますが。

お祝いをしながら、お開きが近づいてきたとき、どうもその叔父がソワソワしている。

もう帰ろうとするみんなに、「実は手品がある」と。

なんだ、手品か、と本気で思ったが、実は半年かけて今日の日を迎えた叔父の満身の顔があった。


婆さんが、生きているうちに、形を残したい。

宮内家(母方)のルーツをみんなに知っていてもらいたい、と。

なんと、ばあさんの本を作っていた。

自費出版、ってやつですな。

ヨーロッパ旅行くらいはかかるんだそうですよ。


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そこには、半年かけて、ばあちゃんの半生、特に満州時代についての記録が綴られていた。


うちのばあちゃんは栃木県の大田原出身。

東京の看護婦女学校、東京助産女学校を経て、東京麹町の病院に勤務していたが、2・2・6事件を機に、

満州へ。期待に夢膨らむ人生を歩こうとしていた時に太平洋戦争で一気に日本人の立場は逆転。

日本へ帰るまでの波乱万丈奮闘記を執筆していた。

私の母親が5歳で1歳7カ月の次女と3人、大変な思いをさせられたこと、

やっと日本へ帰れるとなったのに、駅内でリュックの中にいた次女を亡くしたこと。そのまま出発前だからと、

悲しんでいる間もなく埋葬されたこと。

返還の船上で、お産が始まり、婆ちゃんが大役を引き受けて見事に多くの人々へ感動と喜びを与えたこと。

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帰って来てから、夫を亡くしたことが分かったこと。

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その他いろいろ。


すごいばあちゃんです。

そんなことは、自分から大きく言うことはない。

だから、余計に、みんな知らなかった。

うちの母親にもやや、それに似た節がある。

苦労することまで真似せんでもいいんだが。

金貯める方を真似すればよかったのに。


叔父さん、ありがとう。

おかげて、みんなが、満州を、ばあちゃんの人生を、宮内家のルーツを知ることができました。


まだまだ、元気でいてください。



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